お知らせ
門川漁港ただ一人の素潜り漁師 ~港町の人生道場~
2026/08/10
朝と夕方、犬を連れて港沿いを歩くのが、私の日課になっています。漁船が並ぶ岸壁、係留ロープの軋む音、潮の匂い。何度歩いても飽きない景色の中に、いつからか、決まって目に入る人がいました。港の隅に停めた小さな船の前で、ウェットスーツに着替えている人です。
普通の漁師さんは、朝まだ暗いうちに沖へ出て、早朝のセリに間に合うように戻ってきます。けれど彼が船を出すのは、もう日が高くなってからのことが多い。着替えているタイミングも、朝だったり、夕方だったり、どこか他の漁師さんとは違うリズムでした。
きっかけは、散歩中にいつもしているゴミ拾いでした。落ちていた空き缶を拾い上げたその瞬間、「ゴミ拾い、えらいですね」と声をかけられたのです。振り返ると、黒く日に焼けた顔と、隆々とした肩や腕。漁師さんですか、と聞くと、彼は少し照れたように「この町で唯一の、素潜りの漁師です」と教えてくれました。
素潜りで、普通の漁師では潜れないほどの深さと時間を潜り、クエやイシダイといった、網では獲れない魚を専門に獲っているのだそうです。しかも、水中銃で獲物の急所を一撃で突き、その場で締めまでしてしまうと聞いて、思わず言葉を失いました。
それからは、朝晩の散歩のたびに顔を合わせるようになりました。漁に出る前は挨拶程度に、漁から戻ってきたときは、少し立ち話をするのが習慣になっていきました。話題はいつも、その日の獲物から始まります。一メートルのクエが獲れた。型の良いイシダイが何枚か獲れた。そんな話をしながら、気づけば会話は、もっと別のところへ流れていきます。
彼は、昨日よりも今日、今日よりも明日、一秒でも長く海の中にいられるようにと、日々体を鍛えているのだと言います。肉体だけでなく、心も鍛えているのだと。獲物が見つからない日は、なぜ見つからなかったのかを考え、対策を練る。潜水時間の限界に近づいたとき、いつもなら引き上げる頃合いに大物と出くわすこともある。そんな瞬間にこそ、日々積み重ねてきたものが試されるのだと、海の話をしながら、まるで人生そのものを語るような顔をしていました。
彼はもともと宮崎の別の町の出身で、若い頃はプロのキックボクサーとしてタイで戦っていたのだと、ある日ふいに教えてくれました。日本に戻ってから趣味で潜っていた素潜りを、地元の漁業関係者に見込まれて仕事にしたのだそうです。プロとして海に立った以上は、と、あのストイックさで自分を磨き続けてきた結果が、今の彼なのだと知り、あの日港で感じた違和感の正体が、少しわかった気がしました。
うちでは、遠方から家族が来るときや、何か特別な集まりがあるときに、彼に頼み事をすることがあります。イセエビを何匹か、型の良いイシダイを一枚。決して安いものではありませんが、それ以上に、「あの人が獲った魚だ」という物語が、食卓をひとつ豊かにしてくれるのです。
そんな彼も、いつも人生を語っているわけではありません。軒先で急にバーベキューが始まれば、当たり前のように顔を出しますし、「隣町で頑張ってる漁師と飲もう」「似たような志の仲間がいるから紹介したい」と、気さくに誘ってくれる、ただの友人でもあります。
今日も犬の散歩の途中、船の前で着替えている彼を見かけました。「今日はどう?」と声をかけると、いつもの調子で今朝の獲物の話が始まります。宮崎の片田舎の、小さな漁港でのやりとりです。けれど、そこで交わされる言葉には、いつも少しだけ、海の底の静けさのようなものが混じっている気がします。
普通の漁師さんは、朝まだ暗いうちに沖へ出て、早朝のセリに間に合うように戻ってきます。けれど彼が船を出すのは、もう日が高くなってからのことが多い。着替えているタイミングも、朝だったり、夕方だったり、どこか他の漁師さんとは違うリズムでした。
きっかけは、散歩中にいつもしているゴミ拾いでした。落ちていた空き缶を拾い上げたその瞬間、「ゴミ拾い、えらいですね」と声をかけられたのです。振り返ると、黒く日に焼けた顔と、隆々とした肩や腕。漁師さんですか、と聞くと、彼は少し照れたように「この町で唯一の、素潜りの漁師です」と教えてくれました。
素潜りで、普通の漁師では潜れないほどの深さと時間を潜り、クエやイシダイといった、網では獲れない魚を専門に獲っているのだそうです。しかも、水中銃で獲物の急所を一撃で突き、その場で締めまでしてしまうと聞いて、思わず言葉を失いました。
それからは、朝晩の散歩のたびに顔を合わせるようになりました。漁に出る前は挨拶程度に、漁から戻ってきたときは、少し立ち話をするのが習慣になっていきました。話題はいつも、その日の獲物から始まります。一メートルのクエが獲れた。型の良いイシダイが何枚か獲れた。そんな話をしながら、気づけば会話は、もっと別のところへ流れていきます。
彼は、昨日よりも今日、今日よりも明日、一秒でも長く海の中にいられるようにと、日々体を鍛えているのだと言います。肉体だけでなく、心も鍛えているのだと。獲物が見つからない日は、なぜ見つからなかったのかを考え、対策を練る。潜水時間の限界に近づいたとき、いつもなら引き上げる頃合いに大物と出くわすこともある。そんな瞬間にこそ、日々積み重ねてきたものが試されるのだと、海の話をしながら、まるで人生そのものを語るような顔をしていました。
彼はもともと宮崎の別の町の出身で、若い頃はプロのキックボクサーとしてタイで戦っていたのだと、ある日ふいに教えてくれました。日本に戻ってから趣味で潜っていた素潜りを、地元の漁業関係者に見込まれて仕事にしたのだそうです。プロとして海に立った以上は、と、あのストイックさで自分を磨き続けてきた結果が、今の彼なのだと知り、あの日港で感じた違和感の正体が、少しわかった気がしました。
うちでは、遠方から家族が来るときや、何か特別な集まりがあるときに、彼に頼み事をすることがあります。イセエビを何匹か、型の良いイシダイを一枚。決して安いものではありませんが、それ以上に、「あの人が獲った魚だ」という物語が、食卓をひとつ豊かにしてくれるのです。
そんな彼も、いつも人生を語っているわけではありません。軒先で急にバーベキューが始まれば、当たり前のように顔を出しますし、「隣町で頑張ってる漁師と飲もう」「似たような志の仲間がいるから紹介したい」と、気さくに誘ってくれる、ただの友人でもあります。
今日も犬の散歩の途中、船の前で着替えている彼を見かけました。「今日はどう?」と声をかけると、いつもの調子で今朝の獲物の話が始まります。宮崎の片田舎の、小さな漁港でのやりとりです。けれど、そこで交わされる言葉には、いつも少しだけ、海の底の静けさのようなものが混じっている気がします。
