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門川尾末の家の物語 ~空き家が生活と事業の拠点に生まれ変わる~
2026/08/06
プロローグ ― 元廃墟の宿泊施設の管理人 ―
宮崎に来る前、私たちはそれぞれの場所で、自分なりに挑戦を重ねていました。ただ、その挑戦がそのまま次につながっていく手応えはなく、「この先、何かできるはずだ」という漠然とした可能性だけを抱えて過ごす日々でした。
2020年に宮崎に移住してからの最初の一年間は、日向にあった廃墟の宿をリノベーションした宿泊施設で、住み込みの管理人をしていました。家であり仕事場の管理棟は屋根も壁も床も一応は残っていましたが、玄関がそもそも付いていなかったり、壁や畳の汚れとカビがひどく残っていてとてもそのままで住める状態はありませんでした。
玄関は、ゴミ捨て場に転がっていた別の扉を、金具を調整しながら自分たちで取り付けました。大工仕事とは勝手の違う、金物の世界です。材料の厚みや種類を何度も間違え、そのたびにホームセンターへ走りました。それでも扉が収まり、初めて鍵がかかったときの安心感は、今でもよく覚えています。壁は土壁だったので、下地処理をして漆喰で仕上げることに決めました。専門技術がいるクロス貼りと違い、漆喰なら素人でも塗れそうだと感じたのです。粉と水を撹拌機で練り、粉まみれになりながら鏝で塗る。初めての漆喰塗りは、あちこちからこぼれ落ちる悪戦苦闘でした。
ちなみに、最初の一か月は水も出ませんでした。お風呂には入れず、汲んできた水でタオルを絞り、電子レンジで温めて体を拭く。漫画の世界か芸人の売れない時代さながらの生活です。生活費もカツカツだったので、少しでも食費を浮かすために海に釣りに出て、釣れた魚をその日のおかずにする、そんな生活でした。正直、お話しすることも憚れる内容ですが、空き家というものに実際に体で向き合った貴重な体験でした。
第1章 ― ある空き家との出会い ―
そうして働くうちに、「いつか自分たちの手で、人生の舵を切りたい」という思いが強くなっていきました。自分たちの力で手に入れられる空き家を探し始めたのが、門川町尾末の家と、隣にある離れとの出会いにつながっていきます。
きっかけは、妻の友人でした。家を探していると相談したところ、「うちの母の実家が、今は空き家になっていて」という話をもらったのです。友人とそのお母様の立ち会いのもと、初めて家を見に行きました。台風のたびに瓦が飛んで行かないかひやひやしている、誰かに譲りたい、家財はこちらで片付けるので、欲しいものがあれば言ってほしい。そんな言葉をいただきました。
とはいえ、話はすぐにまとまったわけではありません。提示された金額はとても安価な価格でしたが、当時の私たちの手元にすぐ用意できるものではありませんでした。加えて、当時暮らしていた日向からは少し距離があり、住み込みの管理人という立場で、リフォームに通う時間も、夫婦でじっくり話し合う時間も、なかなか取れません。悩みは尽きませんでした。何とか代金を工面して購入を決断しましたが、家の売却金額についても、ご兄弟四人で分けるとのことで、どちらかというと形見分けに近いものだったのだと思います。家主だったお母様のお父様、友人にとっての祖父にあたる方が大工をされていたそうで、家には道具が残されていました。そんな思いの詰まった家を引き継ぐべく、引っ越しの日に家と道具をお清めしてから、住まわせていただきました。
第2章 ― 門川での新生活の始まり ―
2021年の1月から3月にかけて、当時住んでいた日向から通いながら、引っ越し前の工事を進めました。まず手を付けたのは台所です。床の張り替えには一か月、壁塗りには二、三日、流し台の修理には一週間ほどかかりました。ベニヤを丸鋸で寸法通りに切る作業や、古い排水管に合う部品探しには苦労しましたが、一つひとつ形にしていきました。今も歩くと少し床が鳴る場所があるのは、あの頃の名残です。
そうして2021年3月、私たちはこの家に引っ越しました。同じ月のうちに、母屋の横にあった離れのリフォームと民泊の申請にも取りかかり、翌4月には離れを民泊としてオープンさせています。母屋での暮らしを整えるのと、宿としての一棟を育てていくのと、二本立ての日々が、ここから始まりました。
第3章 ― この地に根を張って暮らし始めた頃 ―
それからの数年間は、離れの運営業務に加えて、後に「インディゴ」となる日向塩見の家の改修とオープンにも取り組んでいた時期で、正直なところ手一杯の日々が続きました。母屋の生活スペース以外の部屋には手を付けられず、しばらく荷物置きのまま。目の前のことをこなすだけで精一杯で、この家を快適にする余裕はありませんでした。
その一方で、地域との関わりは着実に増えていきました。引っ越してきた当初、自分たちに何ができるのか分からず、近所の卸業者が営む魚屋さんに、よく顔を出すようになりました。人手が足りずに困っている様子だったので、空いている時間に清掃やゴミ出しを手伝ううちに、サメを刺身で食べさせてもらったり、サメの処理の仕方を教わったりする機会に恵まれました。始めたばかりだったキッチンカーも、週末にはこの魚屋さんの軒先で出店させてもらい、これが実質、初めてキッチンカーを稼働させた場所になりました。町内会の班長も一年間持ち回りで務め、月に二回、回覧板や配布物を各世帯に届けて回りました。最初は顔も知らなかったご近所の方々と、少しずつ言葉を交わすようになり、庭で採れた野菜や釣った魚をおすそ分けし合う関係が生まれていきました。
離れを民泊として運営するようになってからは、訪れる方々がこの土地での時間を心から楽しんでいる様子を見るうちに、マリンスポーツやレジャーをもっと楽しみたいという声にも触れるようになりました。宿の付加価値と、収益の両方を意識して、SUPやサーフボードのレンタルを始めたのも、この頃のことです。
第4章 ― 家の中に新しい事業が生まれる ―
その状況が動いたのは、2025年の初めでした。私たちは不動産業を開業する決意を固め、事業計画を練り始めました。外に事務所を借りることも検討しましたが、費用を考えると、この家を使う方が現実的だという結論に至りました。そこで手を付けたのが、それまでアウトドア用品置き場になっていた部屋です。床を下地からやり直し、天井には化粧ベニヤを張り、壁は下地処理をして漆喰で仕上げました。薄暗かった部屋が、白い壁で一気に明るくなり、ついに自宅の一室が不動産の事務所に生まれ変わりました。
事務所ができた頃、もう一つ動きがありました。不動産業に専念するため、それまで夫婦で営んできたキッチンカーの事業を妻に譲り、妻は「令和のサメ」として独立することになったのです。自宅で飲食業を完結できる方がいいと考え、それまで近所で借りていた仕込み場ではなく、自分たち専用の仕込み場を持つことにしました。それまで荷物置きになっていた三畳の小部屋に、新しく排水管を通し、飲食業の許可に必要な二槽式の流し台を設置。友人の大工さんが隣の押入れや階段下のスペースをうまく活かし、物置まで造ってくれました。
おわりに ― 受け継いだもの ―
門川尾末の家は、今も私たちの暮らしの場であり続けています。そして同時に、ある家族が大切に受け継いできた時間を、私たちが次に引き継いだ場所でもあります。空き家と向き合い、整えていくことは、家の可能性を引き出すだけの作業ではありません。その過程で、こちらの暮らしや仕事の輪郭もまた、少しずつ整えられていく。門川尾末の家は、そのことを私たちに教えてくれました。
