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日向不動産代表・渡邊真太郎のプロフィール
2026/07/23
家は、ただの建物ではありません。
住む人の歴史があり、家族の記憶があり、そこには地域の時間が静かに流れています。空き家と呼ばれる場所も、私にとっては「問題」ではなく、誰かの人生の続きがそっと眠っている場所でした。
そのことに気づかせてくれたのは、宮崎での暮らしそのものでした。ここで、私がどんな道のりを経て「不動産業」という仕事にたどり着いたのか。少し長くなりますが、私自身の物語をお話しさせてください。
東京での約30年、消えなかった違和感
東京で過ごした約30年は、アパレル、教育、工務店と、業種を変えながらもキャリアを積み重ねてきた日々でした。傍から見れば、それなりに順調だったかもしれません。
けれど心の奥では、ずっと「何かが違う」という感覚がついて回っていました。独立を決意したものの、思い描いたようには進まず、初めて「生き方そのものを見直す必要があるのかもしれない」と痛感したのを覚えています。
今振り返れば、あの立ち止まった時間こそが、宮崎へ向かう最初の一歩だったのだと思います。

「九州から出るつもりはないんです」― 妻・絵実との出会い
人生が大きく動く瞬間は、いつも静かに訪れるものです。
事業が行き詰まり、これからどう生きていくか見えなくなっていた頃、私は妻の絵実と出会いました。湘南の海沿いで交わした何気ない会話の中に、彼女の芯の強さと、自然体で生きる姿勢を感じたのを覚えています。
「私は、九州から出るつもりはないんです」
その一言が、私たちの進む方向を静かに変えました。ほとんど何も持たないまま、私たちは宮崎へ移り住むことになります。
最初に身を寄せたのは、かつて使われていた古い宿泊施設でした。最低限の設備を整えながら住み込みで管理をし、そこで新しい暮らしが始まりました。水が出ない日が続いたり、食卓に並ぶものが少ない日もありましたが、不思議と心は折れませんでした。むしろ東京では感じられなかった「生きている実感」が、そこにはありました。
自然の中で、地域の方々に助けられながら夫婦で力を合わせて暮らす日々。この一年が、後のすべての土台になっています。
夫婦二人三脚と、心の再構築
移住から一年が過ぎた頃、私たちは古い空き家を購入し、自分たちの手で少しずつ整えながら民泊としての運営を始めました。現実は決して簡単ではなく、私も絵実もアルバイトを掛け持ちしながら日々をつないでいました。
当時の私は「夫婦で一緒に事業をしている」と思い込んでいましたが、絵実にとっては「私の夢を手伝っている」という感覚が強かったのだと、今なら分かります。お互いに“相手のため”と思っているのに、心はどこかすれ違っていく。
そんな時期に出会った「人は鏡」という言葉が、私の心を大きく揺さぶりました。相手に見えているものは、実は自分の内側にあるもの。その気づきから、絵実の良いところを書き出し続けてみると、見えていなかった魅力が次々と浮かび上がり、私自身の心が静かに整っていきました。
私が変わると、夫婦の関係も自然と変わっていく。この経験は、後に不動産業を始める際の大きな土台になりました。

母への手紙と、開き始めた家族の線
夫婦という“横の線”が整い始めた頃、私の中で長く止まっていた“縦の線”―家族や祖先とのつながり―が動き始めました。
ある学びの場で「自分の人生を支えてきた人を思い浮かべる」という時間があり、真っ先に浮かんだのは母の姿でした。幼い頃の記憶、働きながら私を育ててくれた姿。そのひとつひとつが、静かに胸の奥から立ち上がってきました。
その日を境に、私は毎日母に手紙を書くようになりました。感謝や思い出、今の気持ちを綴っていくうちに、自分の中の何かが少しずつ整っていくのを感じました。数日後、母から電話がありました。驚きと、少しの照れと、長い時間を経た柔らかさが混ざった声でした。
母との距離が縮まると、家族全体の空気も少しずつ変わっていきました。その頃から私は、父が生涯をかけて取り組んだ不動産の仕事と、初めて向き合う覚悟が生まれていったのです。
実家の出来事と、不動産業という選択
そんな折、仙台の実家で大きな出来事が起こりました。四十年以上続いていたテナントが、突然退去することになったのです。長年の家賃収入が途絶えるという現実は、母にとっても私にとっても大きな衝撃でした。
老朽化した建物、修繕費、維持費、そして父との思い出が詰まった家への愛着。どれも簡単には向き合えない問題でした。それでも、母との関係が整っていたからこそ、私は逃げずに向き合うことができました。母もまた、これまでなら頑なに拒んでいたであろう“手放す”という選択を、自ら受け入れてくれました。
この一連の出来事は、私に「不動産という仕事の本質」を突きつけました。不動産とは、建物を扱う仕事ではなく、人の思い、家族の歴史、人生の節目を扱う仕事なのだと。
宅建の勉強を始め、学びを進めるほどに「これは自分がやるべき仕事だ」という確信が深まっていきました。合格通知を受け取ったとき、私は静かに決めました。
**この町の物語を、繋いでいく。**
それを、自分の仕事にしよう、と。

これからのこと
家は、人をつなぐ。地域は、人を育てる。家族は、人の根っこをつくる。ここまでの道のりを振り返ると、私の人生は「家」と「人」と「心」が何度も交差しながら形づくられてきたのだと感じます。
これから私は、家を“物件”としてではなく、そこにある“物語”として丁寧に扱っていきたいと思っています。空き家には、かつての暮らしの気配が残り、家族の記憶が眠り、地域の時間が積み重なっています。それを受け取り、次の人へつないでいくこと。それが、私がこの町で不動産業を営む意味です。
もし今、空き家のこと、住まいのこと、これからの暮らしのことで迷っておられるなら、どうぞお気軽にお声がけください。物件の条件だけでなく、そこに流れてきた時間ごと、一緒に考えさせていただきます。
