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ポートハウスの物語 ~離れが、簡易宿所として動き出すまで~
2026/08/22
プロローグ ― もう一棟、ついてきた家 ―
門川尾末の家を初めて見に行った日、母屋の手前にもう一棟、小さな家があるのに気づきました。案内してくれた妻の友人のお母様は、少し恐縮した様子で「家が二つもあってごめんなさいね」とおっしゃいました。おそらく、二軒分の管理の大変さを気にかけての言葉だったのだと思います。ただ、私たちの頭に浮かんでいたのは正反対のことでした。「家が二つもあるなんて、ラッキー!」いつか民泊をやってみたいと思っていた私たちにとって、それは願ってもない話だったのです。
この離れは、もともと母屋にいたご家族の子どもたちが大きくなり、二階建ての母屋での暮らしが手狭になり、暮らしにくくもなったことから、敷地内に建てられた祖父母だけの家だったそうです。高齢のおじいさんとおばあさんが実際に暮らしていた生活の気配と、そのまま残された家財が、母屋とは違ったリフォームのハードルの高さを物語っていました。
第1章 ― 先延ばしと工夫の日々 ―
母屋へ引っ越し、なんとか生活が回るようになると、目の前にあるこの離れはいつでも着手できる状態になりました。ただ、日中は夫婦そろってアルバイトをしていたため、まとまった時間はなかなか取れません。「今日はここをやる」と決めても、暑さや雨で先延ばしになる日も少なくありませんでした。庭の柵の塗装も、そうやって何日も持ち越していた作業のひとつです。ある日、アルバイトから帰ってきた妻が「今日だ!」と、着替えもせずに塗装を始めた姿を今でもよく覚えています。
築年数は母屋よりもずっと新しく、その分、使えるものは多く残っていました。玄関は母屋のような引き戸ではなく、開き戸のサッシ。洗面台、ユニットバス、トイレ、流し台も、いずれもまだ使える状態でしたが、長年の汚れがこびりついていて、清掃だけでかなりの時間を要しました。壁はこの頃にはすっかり慣れた漆喰で仕上げ、床はクッションフロアを張り、寝室にする和室六畳だけは畳の張り替えを業者にお願いしました。
細かい部分には、いくつも工夫を重ねています。流し台は収納扉が壊れていたので、扉ごと撤去してあえてスケルトン収納にしました。洗面台は、正面の鏡とプラスチックの棚が変色して見栄えが悪かったため、台だけを残して棚は撤去し、友人からもらった鏡を壁に取り付けました。ユニットバスは水栓が壊れていたので、ホームセンターで部品を買い、動画を参考に自分たちで交換。入り口の折れ扉がなくなっていたことに気づいたときは困りましたが、「海外ではこんなものよ」という妻の一言で、シャワーカーテンで代用することにしました。このカーテンは、今でも現役で活躍しています。トイレは床の張り替えのために便器を外した際、誤って落として割ってしまいましたが、幸い構造に関わる部分ではなかったため、陶器用の接着剤で補修し、今も問題なく使えています。
室内の作業と並行して手を付けたのが、道路より二メートルほど高い位置にある庭の柵でした。錆びて今にも外れそうだったので撤去し、友人の大工さんに手伝ってもらいながら板材と柱で新しく組み直し、白いペンキで塗装しました。庭に生えていた雑草や雑木も整理し、小さな庭をつくりました。
第2章 ― 民泊開業! ―
民泊の申請は、そもそもどんな手続きが必要なのかも分からないところからの出発でした。調べていく中で、民泊には建てられる用途地域や、学校からの距離といった制約があることを初めて知りました。今にして思えば、これはまさに不動産業で扱う専門知識そのものです。消防に相談に行った際、管理人時代に働いていた宿のことを話すと、担当の方がその宿をご存じで、話がとてもスムーズに進みました。当時この地域で民泊を始める人はまだ少なく、珍しがられたのを覚えています。県や保健所とのやり取りも重ね、無事に開業にこぎつけました。民泊の名前は、まさに港の目の前という立地から、妻が「ポートハウス」と名付けました。
第3章 ― 手探りの集客から、地域一体のサービスへ ―
開業してからは、Airbnbで集客を始めましたが、最初のうちは、ゲストに何を伝えればいいのかすら分かっていませんでした。今でこそ、必要な情報を自動でメッセージ送信できる仕組みが整っていますが、当時は手探りでした。開業がコロナ禍の時期でしたが、宿泊者の七割ほどが海外からのお客様。多くの方が、福岡や阿蘇、高千穂、大分の温泉、鹿児島への移動の途中、たまたまこの地で一泊する場所として選んでいることが分かってきました。それでも、「こんなに静かでゆっくりできる場所はなかなかない」と喜んでくださる方が多く、レビューには高評価が積み重なっていきました。
やがてスーパーホストや、上位のホストにしか与えられないゲストチョイスの称号もいただけるようになり、検索で見つけて訪れる方、毎年恒例のように訪れてくださる方も増えていきました。近所の美味しいレストランやスーパーを事前にご案内すると、実際に満足していただけることが多く、宿だけでなく、この地域そのものを楽しんでもらえるサービスへと育っていきました。
第4章 ― 広がる敷地、増していく忙しさ ―
民泊を始めたその年の年末に私たちはもう一軒、日向塩見の家を購入し、翌年に民泊「インディゴ」としてオープンさせています。ポートハウスの運営を続けながら、同時にこの新しい家の再生にも取り組んでいた時期で、忙しさは一気に増していきました。それまで自分たちでこなしていたシーツやベッドカバーの洗濯とアイロンがけも、とても追いつかなくなり、隣町の延岡で、私たちのような小さなゲストハウスにも対応してくれるリネン業者を見つけ、専用のリネンを定期的に回収・洗濯してもらう形に切り替えました。出費は増えましたが、労力は大きく減りました。
敷地も少しずつ広がっていきました。隣の空き地を購入し、境界にあったブロック塀を撤去して敷地をひとつにつなげています。この時、二百キロほどある庭石が動かせず、近所の工事で使っていたユンボを交渉して借り、なんとか撤去しました。でこぼこになった地面は、ホームセンターでセメントを二十袋買い、手で練って埋めましたが、この経験で手作業の限界を知り、コンクリートミキサー車を呼んで一部にコンクリートを打設し、友人の大工さんに雨よけの波板を設置してもらいました。その後も、雑草だらけだった庭に土を入れたり、石で囲んで小さな畑をつくったりと、少しずつ手を加え続けています。
おわりに ― 二人でつくる、宿の日常 ―
こうした作業や日々の運営の中で、私たちにはそれぞれ得意な役割ができていきました。解体や撤去、重機を使う作業や申請関係は私が、クッションフロア張りや庭の造園や日々の民泊の運営は妻が担当します。お得意の壁塗りも、材料となる漆喰を練るのは私、実際に塗るのは二人で。庭づくりや畑仕事は妻が中心で、これはお客様に庭でくつろいでほしいという妻自身の思いからです。最初のうちは、清掃をチェックリスト通りに進めようとして、お互いのやり方の違いにぎくしゃくすることもありましたが、二年目を過ぎた頃からは、あうんの呼吸でこなせるようになっていきました。
予約管理やゲストとのやり取りは妻が担い、チェックインは二人で、どちらかが案内し、もう片方が抜け漏れがないか確認します。清掃は一人でも一時間ほどでできますが、あえて二人で行うことが多く、効率以上に、二人でやっているという安心感を大切にしています。清掃をしながら、宿のこれからのことを話す時間にもなっています。
門川尾末の離れは、たまたま母屋についてきた一棟の建物でした。けれど、この一棟と向き合い続けたことで、私たちは宿泊事業者として育てられ、その経験が、次に手がけた日向塩見の家へとつながっていきました。
